マーティ語録研究所 - All rights reserved, all wrongs reversed!


by trans_marty
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

「メガデスは俺デス by ムステイン」 その1 (やや江戸っ子調)

とうとう、話題のムスのインタビューなわけだが・・・所謂噂の「鬱時代」について、バンドリーダーの、そしてメガデスを体現する人間として、色々と、ぼろくそに、くそみそに、ぶっちゃけてます。俺は、コレを読んで、ムステインファンになりました。さぁではいってみよう!!!

<<<9月29日追記:中盤追加しました>>>

ttp://www.blistering.com/fastpage/fpengine.php/templateid/7904/menuid/3/tempidx/5/catid/4/editstatus//restemp/N%3B/fPpagesel/1  より

前文のながーいメガデスの歴史説明は省略~。解散直後のくだりあたりからやります。

ムステインは20年に渡りメガデスのリーダーとして君臨し続けたが、2002年4月に終止符を打った。度重なるバンド内での揉め事や10年間遠ざかっていたドラッグ問題の再発などが解散原因である、との噂がまことしやかに広まったが、ムステインは左手の怪我が解散理由であると発表している。もう以前と同じ状態で演奏できなくなったと。

以後、彼の噂を聞くことも無く一年が経過した2003年の5月、ムステインは実に彼らしいやりかたで、引退声明を撤回し、メガデスも徐々に復活させると発表した。

アリゾナ州フェニックスにある自宅で、ムステインは息子のジャスティスと台所掃除に精を出していた。その合間に我々は昔のアルバムやバンドメンバーについて、現在の状況などなど色々と話を聞いた。彼のメガデス脱退については過去にも様々な報道がなされたが、それらは、バンド解散の真相が腕の怪我だけでは無い事をうかがわせていた。

DM:「とにかく、連中に我慢出来なかったんだ!(笑)冗談だ。本当に腕を怪我したんだ。燃え盛るトラックの中から赤ん坊を助け出した名誉の負傷、とか何とか話があればいいんだろうが、そうじゃない。俺の腕は単純におネンネしちまったのさ。全然色気のある話じゃないんだ・・・腕の神経がイカれたか何かで、医者には回復しても元の80%程度しか動かせねぇ、それにギターなんか二度と弾けないだろうって言われたよ。俺の受けたショックは相当なもんだったよ。何とか前向きに対処しようと努めたさ、その為には死ぬほど努力しなきゃいけないってのも解っていた。そんなわけで、その(リハビリの)間、1年か1年半かやってる間に、さらにバンドの事で悩んだりするのも勘弁してくれって心境になったんだ。だから俺は連中にこう言ったんだ・・・「おいお前ら、もう全部終わりだ」。だけど、だ。その頃のプレスリリースなんかにゃ、メガデスは終わったとは言わずに解散したって書いたと思う。なぜなら、俺はもう一度やるつもりだったからだよ。去年の夏の終わりだか、PR会社からもう一枚アルバムを作らなきゃならねぇ、と言われた時、俺も他のみんなも、前みたいにバンドでやることしか頭に無かった。今俺はニック・メンザと一緒にやってるが、最高に楽しいよ。俺はやっこさんが好きなんだよ、最高のアーチストでありミュージシャンだしな。他の連中はどうかって?・・・それは兎に角、そのまま放って置いたほうが良さそうだな・・・マーティ・フリードマンは奴のキャリアに満足してるだろうし、エルフソンだって、ご存知の通り、好きにやってるだろ?」

腕の怪我は確かに重大な問題だったろう、が、それだけではムステインの他のメンバーに対する内なる葛藤は説明が出来なさそうだ。

DM:「誰がそんなこと言ってんだ?何が起こったか知りたきゃメンザに聞けよ、あいつとはずっと上手くやってるんだぜ。メンザなら、俺が誰と、何をいつもいつも争ってたのか全部知ってるさ。『おい、俺の曲を聴けよ!』『それよりも、俺の方が良い曲だからこっち聴けよ!』ってな。ずーっとそんなのばかり合ったから、仕舞いにゃうんざりして俺はこう言ったよ。『おい、勘弁してくれ!お前らの曲なんかくそくらえだ!』ってな。作曲についてとか演奏がどうだとかの話じゃないんだよ、金と、誰のリフが一番か?ってなくだらねぇ争いだった。良い曲ができればそれで俺は良かったんだ。俺はくそくだらねぇ曲は演奏しねぇんだよ。なんだっけな、いつだったか、エルフソンの奴が持ってきた曲が最悪でさ・・・奴がピアノ弾きながらシナトラ気取りに『もっと理解していればぁ~』なーんて囁いてんだぜ?・・・・俺は頭抱えてるしかなかった「・・・おいおい、どこの誰がこんな歌うたうんだっつーの!』って。俺か?冗談じゃねーよ!(大笑)

確かに、本人が言うように腕の怪我という事実がメガデスを辞めるという決断を下した最大の理由だったろう。が、一方では長期にわたるメンバーとの確執も、ムステインがその決断を下す要因となった事も確かである。

DM:「もちろん、色んな問題があり、メガデスにはある種の冷却期間が必要だった。Youthanasiaをリリースした後、俺にはバンドがつまらなくなっちまったんだよ。何もかも思い通りにならんかったからな・・・Countdown...の頃は良かったんだよ、凄く成功したアルバムで、そのバンドの一員であることも楽しかったからな。その後だよ、みんなしていい気に成り始めてよ・・・『お前ら、次はこんなのやってみようぜ』だの、『Countdown...よりもすげぇアルバムを作んなきゃ!』とか。俺は、そんなの出来るかどうかわかんねぇだろ?って言ったんだけどよ、Countdown...は確かに良いレコードだけど、売れたのは運とタイミングが良かったからさ、ってな・・・ナンバー・ツーを達成したなんてのは、俺たちみたいなしょぼいメタルバンドにとっちゃ出来すぎた事であって、意図してやったんじゃないってね。だから、その後のYouthanasiaはナンバー・フォーだったけど、俺にとっちゃかなりの達成感があったんだ。トップ5のアルバムを作って、又その後出したアルバムもトップ5にする、ってのは簡単なことじゃない。なのに周りのヤツラは、それじゃご不満だったらしく、俺はもうすっかり頭に来てさ。『ふざけんなよ、お前ら!?もうこれ以上我慢できねぇ!』って思って。で、MD45をやり始めたんだ・・・その頃のバンド写真とかなんか見てみろよ、オマエさんだってよっく解ると思うよ、俺がいかにひでぇ面構えしてたかって。」

もちろん、ムステインから完全に笑顔が消え去ったというわけではない。逆に、Youthanasiaのアルバムショットには、メンバー全員がエアギターをプレイしてる物珍しい写真もあるぐらいだ。

DM:「あぁ、ありゃーイカれてたな。かなりワイルドだったさ・・・何でそんなだったのか全然覚えとらんがな・・・確か、リチャード・アヴェドンに写真とらせてたな。4~500年ぐらい生きてそうな仙人みたいな小っちゃいジジイだったな。スタジオに来て、カメラのある位置にまっすぐ歩いてきて、ファインダーをちらっと覗くと、さっと向こうに行っちゃってよ、代わりに助手か誰かがシャッターを切るんだ。で、俺は思ったよ・・・『おい冗談だろ?なんで5万ドルもふんだくっといてシャッターも押せませんか?はぁ?』ってね(笑)。その後も、奴さんは裸のおねーちゃんを連れてきたかと思うと、ポーリーナ・ポリスコワ(リック・オケイセックの嫁)かなんかみたいに、その子をライオンの上に寝そべらかせて、そんだけだぜ?だけど、このジジイはビートルズの写真なんかも撮ってる御大だからな、しかも連中の最も有名な写真を撮ったおかげで、奴は好き勝手に振舞える権利を獲得したってわけだ。誰ひとりとして文句が言えないんだ。ビートルズの写真を撮影した、しかもその最も有名な写真を撮ったのがもしアンタだとしたら、あんたというカメラマンはもう自分でシャッターなんか押さなくても許されんだよ(笑)。俺だって自分の番のとき、何かボタン押しさせられたよ(笑)。

先に述べたとおり、バンドはその後2002年の終わりごろにStill Alive... And Well?コンピレーションをリリース、ついで2枚組みのライブアルバムRude Awakeningも出した。しかし、ムステインに言わせれば、これらのアルバムにどんな意図が込められていようとも、メガデスというバンドがかつてリリースしてきたようなアルバムという意味ではRiskが最後の一枚だった。

DM:「Riskが出た当時の俺は、もう怒り心頭に達してたんだ。リリースの仕方だとかにね、Crush 'Emみたいな曲は入れたくなかったのに入れられちまったからな。当時はそれに、バンド内外で色んなゴタゴタが起こりまくってたし。俺はメンバーに、『お前らさぁ、こんなレコードを今出しても、どうしようも無いと思う』って言ったんだがな。・・・アルバムにディスコ・ソングを入れるなんて悪い冗談だよな?って思ってたのに、あいつらときたら、『さぁさぁ、ちょいとスローテンポで演奏してみましょうか』とかほざきやがって。俺はもう、『お前ら頭おかしーんじゃねぇのか?そんなことしたら自分で自分の首を絞めるだけだろ?今まで積み上げてきたものをぶち壊すつもりかよ!?』って言っても、誰も聞く耳なんか持っちゃ無かった。で、そのままレコードが出ちまった、と・・・で、さぁさぁ、どうよ?俺はあれだよ、オマエ、どっかり座って言ってやったよ『何もかも警告した通りになったな、ザマァねぇなぁ!』ってなもんよ。その後、フリードマンの野郎が確かRiskのリマスターについてインタビューやってたよなぁ?あの失敗の原因は自分とキャピタルレコードA&Rとマネージメントの責任だってハッキリ言ってたぜ?俺は、『あぁ神様!俺は間違ってなかったんですね』って叫んだよ。だって、あのヤロウは自分の考えがいかに愚かしいものだったか率直に認めたんだぜ?俺はやっと、自分の汚名を返上できたわけだよ。しかも、奴が言ったセリフ、そっくりテープに録音して持ってるんだからこっちは!(大笑)他にも俺には面白い証拠を持ってるんだよ。Riskを一緒に作ったバド・プレイガーの手紙何だがな、その中には、バンドメンバーが作った曲全部にダメだしをしたりバンドを崩壊させた一因である、って自分で書いてんだよ。これも俺にとっちゃ全く結構なお話でさ、ていうのも、バンドメンバーも含め誰も彼もが、他のメンバーの曲に耳を貸さなかったのは俺だって信じてるんだからな。確かに、クソ面白くもねぇ曲なんざ無視しようと言ったのは俺だ、だが、メンバー全員の曲がダメだって言ったのはプレイガーだぜ?当時の俺はこんなごみ溜めの中からじゃあ責任もって曲を選ぶ事は出来ない、と言ってあったんだ。フリードマンなんかもっと率直に懺悔してるよ、『もし自分にそれが出来たのならば、自分はより一層オルタナ色の強いものにしたのに』ってな、あいつにとっちゃ、もっともっとオルタナ色を強めていればもっと売れたはず・・・ってなもんらしいな。だが、俺に言わせればだ、『なんだ?コイツは何夢物語語ってんだ?こんなレコードこれ以上どうしたって売れる訳ねーだろ、バカか?』だけどな。昔からのハードコアなメガデスファンにとっちゃ、あのアルバムは20秒と持ちこたえられなかったに違いないんだ。1曲目をかけて20秒もしたらもう、メガデスは死んだって思って、仕舞いにゃきっと、フリスビー代わりにCDを何処まで遠く投げられるか?ぐらいしか出来なかったはずだよ。メガデス以外の他のバンドのアルバムだったら、相当売れたかもしれないがな。だけどアレは、メガデスのアルバムとして世の中に出たわけで、俺たちのファンでさえ騙された、いわば被害者なんだよ。俺はRiskは結構いいアルバムだと思ってるさ、だけどこれは、絶対にメガデスのアルバムでは有り得ないのも事実だ。」

まだまだ続きます・・・・

<<<9月29日追加分ここから>>>

メガデスはキャピトルから創立されたばかりのレコード会社サンクチュアリに移籍、2001年に「The World Needs A Hero」をリリースした。メガデスとサンクチュアリの関係はまだ手探り状態である段階が、ムステインはメガデスを脱退すると発表した。その事に対しファンは後味の悪さを見て取るかもしれないが、ムステイン自身はそんな事は無い、と言う。

DM:「良いレコード会社だったよ、非常に協力的で人間も良かったし。俺が新譜を作ると告げたときも、メガデスでもソロ名義でもどっちでも構わないと言ってくれたほどだ。俺の音楽をもっと聴きたい、としか言わなかった。で、メガデス名義でやると決断したんだが、その時も、『良い決断だ、だが会社の為やプレスやら他の誰かの為にじゃなく俺自身の為にメガデスの作品を作れ』と言ってくれたほどだ。彼らは他にも、俺こそがヘヴィーメタルの旗手なんだ、とも言ってくれた。確かに俺のものだったのに、俺ときたら、自ら遠ざけちまったんだからな、だったら自分で旗手を取り戻してやる、と。俺は、本当にその通りにやると決心したよ。My Kingdomはその事を歌ってるんだ、実際の曲は映画「エクスリバー」を元にしたイントロダクション「Shadow of Deth」から始まるんだが、この映画には本当に影響されたもんさ。まさしく、自らの王国の御旗を掲げて玉座に帰り着いた事を宣言したんだ。」

ムステインは半分引退した格好で、治療に専念するため数年間を家で過ごしたが、同時に家族というものをとらえなおすきっかけにもなったのは言うまでもない。

DM:「ここ何年かはいい時間を過ごしてきたんだ。プラチナアルバムを何枚も出す男は、良き夫や良き父親にはなれないもんだ。だけど俺は、そろそろ家庭に関心を持つ必要があったんだろうな、俺の人生にとって本当に大事なもの・・・家族や偉大なる創造主との関係について捉えなおす良い機会になったよ。俺は、家族が幸せなのは一心不乱に働いているからだとばかり思い込んでいて、「俺の手で」家族を幸せにしている事は思いつきもしなかった。俺の家族は、俺がそばに居るだけで幸せなんだ、なんてことは考え付きもしなかった。もちろん、そばにいる「だけ」じゃ駄目だろうがな(笑)・・・それ以前の俺といったら殆ど存在してないも同然で、一方の家族はただ側に居て欲しかったんだろうな。俺が子供の頃、俺にとっては父親はただ怖いだけの存在だった、皆ただ恐れおののいていたんだ・・・だから俺の子供たちが俺に側に居て欲しがってると知ったときの幸福感と言ったらなかったよ。しかも、ヨメさんまで俺が側に居て嬉しいんだって言われたら、悪い気はしないよな。こないだなんか、ヨメさんが怒って俺に電話してきたんだ。なんでか?俺が家に帰ってこないって泣かれたんだよ。だから俺はほんとに泣かれる前に、ちゃんと家に帰ったさ!(笑)これこそが、恋に落ちる醍醐味ってもんだよ、彼女や家族の為なら何でもやってやるぜ!っていうね」

「The System Has Failed」アルバムをムステイン名義ではなくメガデスのアルバムとしてリリースした理由について様々な見解がなされているが、ムステイン自身は、彼の意思だけでそう決まった訳ではないと明かした。

DM:「実際のところ、俺はどっちでも良かったんだ。またスタジオに入って演奏出来る事そのものに興奮してたからな、自分のやりたい事が自由に出来ればそれで良かった。元々は、トゥーム・レイダーを製作している連中から「ララ・クロフト」用に曲を書いてくれないか?と頼まれてね、で作った曲を彼らは非常に気に入ってくれた。所が連中は後になって、あれだけの予算があるにも関わらずこの曲にはこれしか出せないってなってな、で、俺はそれっぽっちの金額じゃこの曲は出せない、って思って最後には「解った、全部無かった事にしよう」と言って曲を渡さなかったんだ。その後で、さてこの曲をどうしようか?って話し合ったんだが、その時にこれを入れてフルアルバムを作ろうと決めたんだ。用意が出来たらあとはレコード会社に知らせるだけだった。今のアメリカはそういう風にやる必要があるんだ。アルバムを作る時は、まずレコード会社とPR会社に知らせなきゃならないんだよ。で、俺のマネージメント会社がまずはレコード会社に知らせに行ったら、何も問題ないからどうぞやってくれ、となったんだが、次にPR会社に行ったら、『ソロアルバムとして製作するつもりであることは大歓迎です、が、貴方は我々に対し、後一枚メガです名義のアルバムを作る契約があります』と言われたんだよ。『メガデス名義のアルバムを出してくれない限りは、我々は一生彼を死ぬまで解放できませんよ!』ってね。死ぬまで!ってそりゃ幾らなんでも長すぎるだろう?俺は、気が狂いそうになったよ。俺はどうすりゃいいんだ?完全にお手上げ状態になったもんで、ヨメさんに相談したり、家族や他の、俺が良い精神状態で居られるよう常に手助けしてくれる相談役なんかと話して、ようやく気づいたんだ、自分でそういう契約にサインしちまったんだから、約束は果たすべきだって。これは俺のコミットメントなんだから俺の誇りと尊厳の為にも、言った事には責任持たなくちゃなぁ、って。だから、これはメガデス名義のアルバムとして出さなきゃならなかった。その時やらなかったら、一生できなかったろうな。良いアルバムを作れるかどうかなんて誰にもわからなかったし、俺の作品を欲しがる人が居るかどうか確信なんて無かった。だが、良質なミュージシャンを使った事が俺自身にもポジティブな影響を与えたんだろう、思ったよりも良く仕上がったからね。引退の危機を克服した俺としては、以前に一緒に仕事した連中に対し非常に批判的にならざるを得なかった、それがメガデスを再結成しない理由だ。メガデスってのは基本的に俺が良いと思った奴を集めて俺が作ったチームだからな。皆、ソロアルバムはどんな感じ?って質問するけど、俺がレコード会社やPR会社に持ち込んだ時には既に出来上がっていた。そもそも、デイブ・ムステインの作品として作られたものだったんだ。名義が単純に代わっただけのことなんだ。スクラッチくじか何かみたいに、25セント硬貨でアルバムジャケットのメガデスって名前を削ったら、デイブ・ムステインって出てくるんだ。今に至るまでのこの20年間、結局はそういうことだったんだよ」

今回ムステインが招集したチームの構成は、Jimmie Sloas (B)とVinnie Colaiuta (Dr)の二人の新人と、驚いたことに初代ギタリストのクリス・ポーランドである。

DM:「その通り、けどポーランドと今後一緒にやる予定は無いよ。奴の演奏は凄く良かったんだが、(と、ここでムステインはちょっと躊躇した後、深いため息をついた・・・)詳しくは話せないんだけど、ちょっと色々問題が生じてね。兎に角それは棚上げしておく事に決まったんだ、ポーランドは録音に参加して、その分の支払いもちゃんと受け取ったけど、問題については棚上げしてある。」

ムステインが今言えることは、ドラムのSloasは録音参加のみで去ったが、代わりにメンザが戻って来る、ということだけだ。


終盤がまだ続きます・・・・
[PR]
by trans_marty | 2005-09-27 16:37 | Interview